車いすで世界一周を行っている旅人Miyoさんにインタビュー取材しました!

突然ですが本当に強く願って、行動さえすれば、できないことって何もないんだと思います!!
インタビューをさせていただいた車いすで世界一周の旅を行っているMiyoさんのお話を聞くと、それがなお一層強く確信できました!
今回は車いすで世界を旅する旅人Miyoさんに取材させていただきました!

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人物紹介:Wheelchair Traveler Miyo
1988年11月30日生まれ、茨城県日立市出身。
18歳の時にバイク事故で頸椎を損傷、四肢麻痺(C6B2不全)により車椅子生活に。
約2年に及ぶリハビリを終え、東京に単身一人暮らしを始める。
23歳の時に初海外一人旅を経験し人生観が大きく変わる。
28歳勤めていた会社を辞め、世界一周一人旅を決意。
Wheelchair Traveler Miyo公式サイト:wheelchair-worldtrip.com

​- Miyo​さんは18歳の時に頚椎損傷による四肢麻痺になり車いす生活を余儀なくされた…とのことですが、当時の思いや考えについて聞かせていただいてよろしいでしょうか?

最初は治ると思っていたんです。でも何ヶ月かして医者から「一生ベッド上での生活だ」って言われたんですよね。
その時家族は泣いていたんですが、自分では“時の流れに身を任せる”っていうか、いまいち実感がなかったっていうか…。当時はピンとこなかったってのが正直なところですね。
その後“国立障害者リハビリテーションセンター病院”でリハビリを受けて、まずお風呂やトイレは自分でできるようになったんです。
でも“歩く”となると難しくて、やっぱり限界を感じてしまったんです。
ここで初めて「この先どうなるんだろう…」って将来への不安が強くなって、かなりネガティブな気持ちに落ちてしまったんですよね。

​- そんな落ち込んだ状況から、単身東京に移り、​車椅子ツインバスケットボールチーム「BLAYS」に選手登録し選手として参加されるようになったのは、どのような気持ちや考え方に変化していったのでしょうか?

気持ちの変化として一番大きかったのはリハビリセンターでのある人との出会いだったんです。

私は国立身体障害者リハビリセンター病院を退院後、当時静岡の伊東にあったリハビリ施設に1年ほど入所しました。
そこで同室になったのが、東京で工務店の社長をしているAさんでした。
Aさんは私のお父さんと同じくらいの年齢で、
私と同じく頸髄損傷になってリハビリをしていたんですよね。

その方に「センター退所後はどうするの?」って聞かれたとき、「まあ実家でDVDでもみて過ごしますよ~」なんて答えたら、「東京に来い、バリアフリーの改修ならウチでやってやるから」
そう言われて、無性にテンションが上がってきて、一気に道が拓けた気がしたんですよ。

この出会いが自分の障害者人生においての転機になったのはいうまでもありません。

​- 出会いが環境だけでなく気持ちまで大きく変えたってことでしょうね!

その後東京で一人暮らしをしているときに、同じ頸髄損傷の友人に「うちのチームに入らないか?」って誘われて参加するようになりました。
車椅子ツインバスケットボールのチームへ参加したことで、更に多くの人との出会いや繋がりが増えて、世界がどんどん広がっていく感じがしましたね!

​​- 23歳の時に会社の夏休みを利用して海外に一人旅をしたとありますが、何かきっかけはあったのでしょうか?

ある日会社の同僚に「夏休みはどうするの?」って聞かれて、特に何も予定はなかったのですが「ハワイとか良いんじゃない?バリアフリーも進んでそうだし。」って話になって。
それを聞いて、すぐに近くのショッピングモールのHISに行ってハワイ行きのチケットを買ってましたね。
一度きりの人生だし日本を出てみたい!って思いが膨らんで、まずはハワイに一人旅をしようと!

​​- すごい行動力ですね!!ハワイでの生活はどうだったんですか?

ハワイに行ってわかったことなんですけど、自分の障害を感じることがなかったんですよね。
もちろん車いすのための設備が整っているってのもありますけど、なにより人が良かったってのが大きかったんです。
車椅子であるとか無いとかそんな事は一切関係なく、一人の人間として平等に扱われているのが当然で、それが日本にいた時には無い感覚で当時の自分には衝撃でした。

– その後会社を退職しアメリカ、オーストラリアに長期滞在されたようですが、どうして長期滞在の生活をしようと思ったのでしょうか?

さっきお話したように、ハワイでは障害を意識せずに生活ができたんですけど、これってハワイだったからなのかな?ハワイだけ特別だったのかな?って思ったんです。
もしかしたら他の国では違うんじゃないか?って。
それでこれは自分で確認しなきゃと!(笑)
結局アメリカ本土に1ヶ月、オーストラリアに半年滞在しました。

– アメリカ、オーストラリアの人はどうでしたか?

やっぱり人は良かったです。
ハワイの時と違って誰でもウエルカム!という感じではなかったですが、車椅子という事でストレスを感じることは少なかったです。

– その後2​8歳の時に世界一周を決心されたんですよね?

オーストラリア滞在後、3年弱くらい働いていたんですけど、やっぱりまた海外に行きたくなったんです。

ただ今度の目的は、自分がもちろん世界をもっと見てみたい!ということに加えて、僕でも行けたっていう記録を残したかったんです。

世界のバリアフリー情報を発信して、他の車椅子ユーザーの人たちがそれを見て、「お、この人が行けたなら私も行けるかも!よし私も海外に行こう!」なんて思ってくれたら最高だなって思ってます。

– 周囲の反応ってどうだったんですか?

周囲の反応は様々でしたね。
ほとんどの方は応援してくれましたが、反対する人ももちろんいました。
そういう人は決まって「将来設計が…」とか「それを仕事になんかできない」っていう意見がほとんどで。

もちろん大事な意見としてちゃんと話を聞きました。
しかし、やりたい事が目の前にあって、そしてそれを実現できるチャンスもあるのに”やらない”という選択肢は僕にはありませんでした。

​- 障害を抱えるとなかなか社会復帰や自己実現がしにくい…と思われがちですが、そのような課題に対してMiyoさんから何かアドバイスがありましたら教えてください!

障害の種類や、重さによっても人それぞれなので一概にコレ!という答えはないのですが、 私の障害を負ってからの人生を例にしてあげさせて頂けるのならば、大事にしていたのは人との繋がりと、とにかく行動する、の二つですかね。

私のような中途障害の人間は、障害を負ってしまうと、健康だった時期と比べてできる事が少なくなり、気持ちも落ち込みがちです。

目には見えない不安から、外に出るのも人に会うのも億劫。
家にいれば環境は整っているし、好きな音楽を聴いてゲームしてサイコー!
そんな時期が私にもありました。

ただ、だんだんこれでいいのか?と思い始めるようになって・・
少しずつ、少しずつ何かにチャレンジするように生活をシフトしていきました。

初めて自分一人で近所のスーパーに行ってお惣菜のとんかつとサラダを買って家に戻ってきた時、玄関の前で「よくやった!俺!」
と声を出して自分を褒めたことを今でも鮮明に覚えています。

小さな成功の積み重ねが自信を生みました。
今思えば小さなことでもその時はとても大きく高い壁だったはずです。

近所のスーパーに行くのも大冒険だったあの時の私が、今は一人で世界一周をしているなんて夢にも思わなかったと思います。

社会復帰も自己実現も、いきなり途方も無く大きな目標を立てると続かなくなる可能性が高いので、まずは”今の自分なら一生懸命頑張れば乗り越えられるかも”くらいの目標を立てるといいかもしれません。

何かに向かって進もうとし始めればそれを応援してくれる仲間も増えます。

そういう人たちに心から感謝し、大切にしたいですね。

まとめ

今回FacebookでMiyoさんの活動を知ることができ、おもいきってご連絡をしたのがお近づきになったきっかけでした!
インタビューも日本-トルコ間のFacebookメッセンジャーによる通話だったので、電波環境の違いからか通話がプツプツ途切れたりと四苦八苦でしたが、お話を聞いて非常に感動しましたし、何より行動することの大切さを改めて学んだ気がします。
この記事を書いているときは…ドバイにいらっしゃるようです!!

まだまだMiyoさんの世界一周の旅は続きますので、引き続き日本から応援したいと思います!
そして帰国時にはMiyoさんと飲んだくれてきます!!!(笑)

Miyoさん、ありがとうございました!

【関連リンク】
・Wheelchair Traveler Miyo公式サイト:wheelchair-worldtrip.com
・Wheelchair Traveler Miyo公式Facebookページ:https://www.facebook.com/wheelchairtravelermiyo/